2011年5月9日月曜日

磯原から勿来へ

北茨城磯原にあるお墓を春日部に移転の為今日は挨拶回りです。先ず墓地管理者の須藤家へ(夫の従兄弟)。それから本家へ。お墓は本家の墓地に間借りしていたのです。
墓石は3/23日に御霊抜きして、神永石材(夫の従姉妹の子)にて只今磨きにかけられてます。今月17日に神永石材のMさんに運んで貰い新居(敢えて・・・)に設置、21日に曹洞宗の僧侶の読経のもと御霊入れとなります。  墓所はこのような田園風景の中にありました。










神永石材は夫の従姉妹の子・Mさんが墓石を。
Mさんの子供のDくんが彫刻を。素晴らしい作品を見てください。


映画『剣岳・点の基』では米倉齋加年が拝む《不動明王》をDくんが作成しました。 『桜の園・・・』何とかという映画でも原爆にあった《お地蔵様》を収めたそうです。(楽天・アマゾンで注文をとってるそうです)

























































次に“改葬許可証”を頂きに北茨城市役所へ。許可証は色々調べて2週間ほどかかるそうです。

他の市役所はその日に発行シテもらえるそうですが。。。


原発の放射線測定器が設置してありました。北茨城も地震・津波に遭遇し爪痕があちこちに見受けられました。それを励ますように物資と共に届けられた“応援メッセージ”が貼られてました。





















実家への途中、大津港の現在の様子です。未だに護岸は3/11日のままだそうです。

コウナゴから放射能物質が検出されたとのことで船も出漁できません。


五浦の六角堂もすべて津波に破壊されたとのことで立ち入りは出来ません。茨城大学が調査にあたったようです。


















我が家の民宿がありましたよ!!!前面の塀が波の進入を阻んだようです・右側のシャワー室からお風呂、廊下には波が入ったようですが畳までは行かなかったようです。。。左側の駐車場は砂が50センチは堆積してますね。

旅館浦島は1階部分が津波が押し寄せたみたい。















波はこんなに穏やかなのに、当日は対岸の火力発電所も2階部分まで水没したそうで、すぐ近くの母の従兄弟の家は土台を残して全て津波に持って行かれたそうです。。。


今の季節柔らかい美味しいワカメの収穫が出来るのに放射能影響で残念です。ウニも牡蛎も。夏も海水浴どころではありません。



故郷が浜通りが福島がこわされました。。。

2 件のコメント:

  1. Dさんの作品素晴らしいですね。以前剣岳の映画に作品が出たと聞きましたが・・・・・お墓の移転は大変とパソコン教室の川上さんから聞きましたがされたのですね。地震の爪痕、そして塀が家を守った、昨晩飲んだ友達が岩手に叔母のみ助かり(津波が来て向かいの2階避難したが天井裏の首まで来て助かったが救助までに3日かかり体温で乾かしたとか、親戚は全員行方不明で見つからない、人災と行ってました。今は写真で見ると静かですが岩手はまだまだの様です。一時も早い復興を念じます。

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  2. 石材の彫刻の写真には癒されました。
    こんな彫刻が近くにそっと佇んでいたらまわりの空気が
    ほんわかと明るくなりそうですね・・・
    震災のことを思うと、自然の力は想像を遙かに超えた、勢いで迫ってきたのですね。千年に一度の災害と言われてますが、・・・生きてることに感謝です。

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