2013年6月23日日曜日

平和を祈って…

6/18日・旅行最終日…

出発前にホテルより徒歩圏にある風頭公園の「坂本龍馬」像と司馬遼太郎の文学碑を見学。
亀山社中(日本初の商社)の跡地までは足を運べませんでした。

坂本龍馬像
長崎港を世界を見据えてる

「長崎はわしの希望じゃ」
「やがては日本回天の足場になる」

司馬遼太郎文学碑

龍馬の見つめてる長崎港をバックに…
蒸しあつくて湿度100%につき髪が爆発です・


めがね橋・日本最古の石造りのアーチ橋・を背に

明治中期頃のめがね橋
大浦天主堂
1865年建立日本最古のキリスト教会

大浦天主堂の入り口にあるマリア様
「日本之聖母」と読めます



グラバー園へ向かう道すがら「でいご」の花が咲いてた
グラバー園にはソプラノ歌手・三浦環の像もあった


グラバー邸
日本人大工の手による日本最初の洋風住宅

グラバー園より長崎湾や市街地を一望
蒸し暑かった・ソフトクリームが美味しかった




平和祈念像
右手は天を指して原爆の脅威を示し
左手は水平に伸ばし永遠の平和を祈って
軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈ってる


平和の泉の句碑を読み涙する小学生



平和の泉の句碑です













のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
      一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとう油の浮いたまま飲みました
             (9才女子)




長崎の鐘のモニュメント
恒久平和を世界の人々に訴えるため建立


碑文
長崎の鐘よ鳴れ   長崎の鐘よ鳴れ
        私達の肉親をうばった  私達の身体をむしばんだ
    あの原爆が  いかに恐ろしいものであるか
   あの戦争が  いかに愚かなものであるか
  長崎の鐘よひびけ  長崎の鐘よひびけ
地球の果てから  果ての果てまでも
    私達の願いをこめて  私達の祈りをこめて





ガイドさんが歌ってくれた「長崎物語」、亡くなった祖母が良く口ずさみ一緒に歌ったものでした。
じゃがたらお春や蝶々さん、明治23年生まれの祖母にとって、長崎の地名は知っていても一生
訪れることのない異国のように遠く思えた事でしょう。なぜか祖母を思い出した長崎の旅でした。

余談ながら明治23年生まれの祖母、昭和23年生まれの私、そして平成23年生まれの孫の莉紅。
いのちのバトンを受け継いで今を生きている・・・生かされている・・・いろいろ思慮深い旅でした。


…平和に感謝…




2013年6月21日金曜日

軍艦島上陸です

6/17日・午後…

この旅行のハイライト・軍艦島へ。

軍艦島とは正式名を「端島」といい、ぼた(粗悪な石炭や選炭後に残る岩石)で埋め立てていった姿や、高層鉄筋アパート群が立ち並ぶ外観が軍艦の「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになったそうです。

海底炭鉱を採掘するために開拓され、最盛期には5.300人もの住民が住んでたが、エネルギーが石炭から石油に需要がかわり、1974年に無人島になりました。





午後2時長崎港から軍艦島クルーズ船に乗船


伊王島へ寄港


伊王島からの客も乗船

高島町は三菱石炭鉱業の主力炭坑があった所
岩崎弥太郎の銅像もあった

高島町で軍艦島のジオラマで説明を受ける
ちなみにこのジオラマは一千万円かかったそうです


端島・軍艦島が見えて来た


上陸に胸踊らせて




いよいよ接岸
端島小学校と幹部社宅が見える



明治期、島の拡張に伴う護岸づくりは
石炭と赤土を混ぜた天川(あまかわ)という接着剤を用いた
石積みで端島独特の景観であり島のあちこちに見られる

波の高さが50cm以下、風速5m以下、
視程が500m以上あり、
船長が上陸可能と判断したときのみ上陸出来るそうです。


上陸です



第一見学広場
右上・島で唯一の内風呂付き住居だった幹部職員の社宅


第二見学広場。炭鉱の中心の場所。
赤レンガはかつて第三ロープ巻き上げ機があった場所(今で言うエレベーター機械室)で、
閉鎖後は資材倉庫として使用されたそうです
第二見学広場。炭鉱の中心の場所。
赤レンガの奥は総合事務所。ここには共同浴場があった。
灯台の右は給水船が運んでくる真水を蓄えてた貯水タンク



第三見学広場からの眺め。
30号棟の住宅(白い灯台の下)は大正5年建築で、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りのアパートだそうです。
その左側は31号棟の鉱員社宅で地下に一般用の共同浴場、一階には郵便局や理髪店もあったそうです。防潮堤の役目も担ってたそうです。

30号棟と31号棟

沢山のツアー客と説明するスタッフ

第二竪坑の入坑桟橋
ここからエレベーターに乗って鉱員は地下の炭坑へと赴いた
説明によると600mを3分で下って行ったとか…
今に例えると東京スカイツリーの高さを3分で下るのです!

集められた石炭を運ぶためのベルトコンベアー跡


岸壁も破壊され朽ちていくのみ…



スタッフ・添乗員と共に


昔の積込み桟橋跡と端島小学校(中央奥)



40年の眠りのままの正に幻の洋上都市でした


2009年に世界遺産暫定遺産に掲載された「九州・山口の近代産業遺産群」の構成遺産の一つとして脚光を浴びるようになったそうです。

ガイドの説明によると、外人客も2割ほどいて、去年放映の映画「007シリーズ、 スカイフォール」のデッドシティに、軍艦島をモデルにしたスタジオセットを作成しCGも駆使し、それを見た外国の人が訪れるようになったそうです。

このツアーにはいなかったけど、「昔ここに住んでました」という方も訪れるそうです。
その方達は決して写真は撮られないで、ただただ、感慨深く見つめてるだけだそうです。
その話しを聞いて、はたしてカメラを向けるべきかどうか迷いました。今はネットで十二分に調べられる時代。写真も沢山掲載されてます。ツアーの人も沢山入れて上陸紀行としました。



イルカウォッチング

6/17日・午前…

天草・下島の鬼池港から島原半島の只之津港まで、有明海をイルカウォッチングです。



ライフジャケットに身を包みイルカウォッチングへGo!
潮風に吹かれながらポイントまで全速力で走ります


波も穏やか風もなく「凪」です
海も空も真っ青・コバルトブルーの海です
遠くにイルカの背びれが見えてます

イルカポイントに到着・童心に戻り興奮して大はしゃぎ


わずか数メートル先を悠然と泳いでる姿に感動

隣の観光船との間を泳いでる


水面に顔を出したかと思うとすぐ海中へ
なかなかシャッターチャンスが難しいです


赤ちゃんイルカもいました


イルカを追いかけ観光船も右へ左へ舵をきる

こんなに沢山のイルカに出会えるとは思いませんでした
99%の確率だそうです
満足度120点

船の廻りを回遊し、というか、船がイルカを追いかけて…
逆光です

イルカに夢中の、アッという間の40分でした
沢山の「癒し」と「感動」をもらいました
心のアルバムに収めましょう

イルカウォッチング後は島原半島の只之津港へと向かいます



おまけ・・・南アフリカの花、ジャカランタ祭をやってました



柳川から天草へ

「幻の洋上都市軍艦島と長崎・天草3日間」の旅に出かけて来ました。

雨の中、午前4時40分のバスにて羽田へ。羽田発・ANA午前7時05分。福岡空港着8時50分。

16日・早朝にも拘らず大勢のツアー客で賑わう羽田空港


柳川は気温30度
柳川下りの舟より柳を渡ってくる風が心地良かった

天草五橋を渡って…


海中水族館・シードーナツを背に


ウーパールーパー初めて見ました







今日の宿泊は松島温泉
車エビの養殖地らしく車エビの踊り食いや鯛の活造りも
ツアーにしては豪華なお膳です

美味しいお食事を目の当たりにして
早朝3時過ぎに起きたとは思えないこの笑顔です
暴れまくる車エビにはキャーキャー言ってました
が、
女性も残酷ですね。全てお腹に収めました。ご馳走様でした。