2013年6月21日金曜日

軍艦島上陸です

6/17日・午後…

この旅行のハイライト・軍艦島へ。

軍艦島とは正式名を「端島」といい、ぼた(粗悪な石炭や選炭後に残る岩石)で埋め立てていった姿や、高層鉄筋アパート群が立ち並ぶ外観が軍艦の「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになったそうです。

海底炭鉱を採掘するために開拓され、最盛期には5.300人もの住民が住んでたが、エネルギーが石炭から石油に需要がかわり、1974年に無人島になりました。





午後2時長崎港から軍艦島クルーズ船に乗船


伊王島へ寄港


伊王島からの客も乗船

高島町は三菱石炭鉱業の主力炭坑があった所
岩崎弥太郎の銅像もあった

高島町で軍艦島のジオラマで説明を受ける
ちなみにこのジオラマは一千万円かかったそうです


端島・軍艦島が見えて来た


上陸に胸踊らせて




いよいよ接岸
端島小学校と幹部社宅が見える



明治期、島の拡張に伴う護岸づくりは
石炭と赤土を混ぜた天川(あまかわ)という接着剤を用いた
石積みで端島独特の景観であり島のあちこちに見られる

波の高さが50cm以下、風速5m以下、
視程が500m以上あり、
船長が上陸可能と判断したときのみ上陸出来るそうです。


上陸です



第一見学広場
右上・島で唯一の内風呂付き住居だった幹部職員の社宅


第二見学広場。炭鉱の中心の場所。
赤レンガはかつて第三ロープ巻き上げ機があった場所(今で言うエレベーター機械室)で、
閉鎖後は資材倉庫として使用されたそうです
第二見学広場。炭鉱の中心の場所。
赤レンガの奥は総合事務所。ここには共同浴場があった。
灯台の右は給水船が運んでくる真水を蓄えてた貯水タンク



第三見学広場からの眺め。
30号棟の住宅(白い灯台の下)は大正5年建築で、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りのアパートだそうです。
その左側は31号棟の鉱員社宅で地下に一般用の共同浴場、一階には郵便局や理髪店もあったそうです。防潮堤の役目も担ってたそうです。

30号棟と31号棟

沢山のツアー客と説明するスタッフ

第二竪坑の入坑桟橋
ここからエレベーターに乗って鉱員は地下の炭坑へと赴いた
説明によると600mを3分で下って行ったとか…
今に例えると東京スカイツリーの高さを3分で下るのです!

集められた石炭を運ぶためのベルトコンベアー跡


岸壁も破壊され朽ちていくのみ…



スタッフ・添乗員と共に


昔の積込み桟橋跡と端島小学校(中央奥)



40年の眠りのままの正に幻の洋上都市でした


2009年に世界遺産暫定遺産に掲載された「九州・山口の近代産業遺産群」の構成遺産の一つとして脚光を浴びるようになったそうです。

ガイドの説明によると、外人客も2割ほどいて、去年放映の映画「007シリーズ、 スカイフォール」のデッドシティに、軍艦島をモデルにしたスタジオセットを作成しCGも駆使し、それを見た外国の人が訪れるようになったそうです。

このツアーにはいなかったけど、「昔ここに住んでました」という方も訪れるそうです。
その方達は決して写真は撮られないで、ただただ、感慨深く見つめてるだけだそうです。
その話しを聞いて、はたしてカメラを向けるべきかどうか迷いました。今はネットで十二分に調べられる時代。写真も沢山掲載されてます。ツアーの人も沢山入れて上陸紀行としました。



1 件のコメント:

  1. 感慨深い軍艦島のブログ有難うございます。最後の文面が何故か残ります。一九七四年以降無人島。石炭採掘で開け石油で閉められこの島で生活していた方は・・・・・・各地の炭鉱が閉山されたのとは「夕張」「三井、三池」とは・・・・・
    知らないから勉強しなければ・・・・・
    いい写真をみせていただきました。

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