2011年3月23日水曜日

普通であることの幸せ



















3月11日午後2時46分に発生した東北関東大地震。

人生初めての大揺れに3人で裸足で飛び出し、揺れを収まるのを待ちましたが大きな大きな地震が何度も何度も来て、電線のない公園に身を寄せました。公園には20名程座り込んだり、肩を抱き合ったりしてました。 揺れが小さくなり家に戻るとコップが3個だけ割れてました。 田舎に電話してもつながりません。仙台もつながりません。あとはテレビに釘付けです。。。津波が津波が家を車を全てを呑み込んで行きます…早く早く逃げて…時間との戦いです… 何か映画を見ているようです・現実とはとても思えません!!!    

加えて福島の原発。

3月2日から里帰りしていた娘は17日に急遽カナダに戻りました。
成田には日本脱出する人々が沢山いて正直驚きました。
被災した方々の映像を見るにつれ、こうして普通に生活できることのありがたさにつくづく感謝です。
暖かいお布団に寝られることにありがとう。 温かい食事が頂けることにありがとう。お風呂に入れることにありがとう。トイレが使用できありがとう。計画停電とはいえ電気がある生活にありがとう(パソコン・洗濯機・ヒーター・灯り・etc) 普通に水が飲めることにありがとう。家族が元気に一緒にいられることにありがとう。諸々の普通にありがとうです!

3 件のコメント:

  1. ホント凄かったですね。阪神を経験しましたが(その時より怖かった)又経験するとは・・・日が経つと段々薄れていくのでしょうが私はその時自室でパソコンをしていました。警報が聞こえ(地震警報と知らず)ゆさゆさと揺れ、(又余震です)、あれ大きな、これは駄目だ、慌ててパソコンの電源を切り、瑠奈と呼び抱えてリビングのテーブル下に逃げ込みました。途中置物、埴輪、植木鉢他ガチャン、ガチャンと鳴りました。椅子がテーブルに押し寄せ手でとめてい、長かったー瑠奈が飛び出そうとしましたからここはやばいのかと思ったけどじっと耐えていました早く終われと念じていました。。途中テレビがついていることに気がつきました。津波警報ばかり吠えていました。どうにか玄関から外に出、又ベランダから外を見 又玄関から瑠奈を抱き一回のエントランスに行き無事を確認
    しました。もどり部屋を観たら悲惨でした。写真を撮り呆然としそして家族に携帯で確認、つながりません、でも無事でした。
    被災地は今も大変。家亡く、自宅を離れ30KMも離れ避難している、停電くらいで文句は言えない、一刻も早く復帰することを念ずるのみです。

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  2. 生々しい地震の体験談です・記憶が薄れる前に記録・必要です!ハムハムニンジン様もすごく怖い思いを、しかも2度も経験してるのですね。日本中が今一つになって日本丸の舵を取っている…救援物資が続々と東北道をひた走り被災者に届けられ、又体育館の片隅で手作りの卒業式・一緒に卒業したであろう亡き息子の遺影を胸に掲げるお父さん。町民ごと加須の廃校舎に移転する双葉町役場。避難する人、温かく迎え入れる人びと…日本人って素晴らしいですね!
    “明けない夜はない”を信じて一歩一歩復興の道を、と、願うばかりです。

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  3. お孫さんの屈託のない明るい笑顔に救われます!
    今回の地震には本当に驚きました。千年に一度あるかないかの規模だそうですね!!確かにこんなに大きな揺れを経験したのは初めての事でテーブルの下に逃げるのがやっとで、とても何かを持ち出すなど余裕など全くありませんでした。被災された地域の方々は本当に怖い思いしてしまい、その後の津波がこんなにも被害を大きくしてしまい、改めて自然の猛威を知りました。そう考えると今生きているって凄い確率で生かされているんですね。命を大切にしないとね。いつも明るいブログを有難う。

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