この旅行のハイライト・軍艦島へ。
軍艦島とは正式名を「端島」といい、ぼた(粗悪な石炭や選炭後に残る岩石)で埋め立てていった姿や、高層鉄筋アパート群が立ち並ぶ外観が軍艦の「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになったそうです。
海底炭鉱を採掘するために開拓され、最盛期には5.300人もの住民が住んでたが、エネルギーが石炭から石油に需要がかわり、1974年に無人島になりました。
午後2時長崎港から軍艦島クルーズ船に乗船 |
伊王島へ寄港 |
伊王島からの客も乗船 |
高島町は三菱石炭鉱業の主力炭坑があった所 岩崎弥太郎の銅像もあった |
高島町で軍艦島のジオラマで説明を受ける ちなみにこのジオラマは一千万円かかったそうです |
端島・軍艦島が見えて来た |
上陸に胸踊らせて |
いよいよ接岸 端島小学校と幹部社宅が見える |
明治期、島の拡張に伴う護岸づくりは 石炭と赤土を混ぜた天川(あまかわ)という接着剤を用いた 石積みで端島独特の景観であり島のあちこちに見られる |
波の高さが50cm以下、風速5m以下、 視程が500m以上あり、 船長が上陸可能と判断したときのみ上陸出来るそうです。 |
上陸です |
第一見学広場 右上・島で唯一の内風呂付き住居だった幹部職員の社宅 |
赤レンガはかつて第三ロープ巻き上げ機があった場所(今で言うエレベーター機械室)で、
閉鎖後は資材倉庫として使用されたそうです
第二見学広場。炭鉱の中心の場所。 赤レンガの奥は総合事務所。ここには共同浴場があった。 灯台の右は給水船が運んでくる真水を蓄えてた貯水タンク |
第三見学広場からの眺め。
30号棟の住宅(白い灯台の下)は大正5年建築で、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りのアパートだそうです。
その左側は31号棟の鉱員社宅で地下に一般用の共同浴場、一階には郵便局や理髪店もあったそうです。防潮堤の役目も担ってたそうです。
30号棟と31号棟 |
沢山のツアー客と説明するスタッフ |
第二竪坑の入坑桟橋 ここからエレベーターに乗って鉱員は地下の炭坑へと赴いた 説明によると600mを3分で下って行ったとか… 今に例えると東京スカイツリーの高さを3分で下るのです! |
集められた石炭を運ぶためのベルトコンベアー跡 |
岸壁も破壊され朽ちていくのみ… |
スタッフ・添乗員と共に |
昔の積込み桟橋跡と端島小学校(中央奥) |
40年の眠りのままの正に幻の洋上都市でした |
ガイドの説明によると、外人客も2割ほどいて、去年放映の映画「007シリーズ、 スカイフォール」のデッドシティに、軍艦島をモデルにしたスタジオセットを作成しCGも駆使し、それを見た外国の人が訪れるようになったそうです。
このツアーにはいなかったけど、「昔ここに住んでました」という方も訪れるそうです。
その方達は決して写真は撮られないで、ただただ、感慨深く見つめてるだけだそうです。
その話しを聞いて、はたしてカメラを向けるべきかどうか迷いました。今はネットで十二分に調べられる時代。写真も沢山掲載されてます。ツアーの人も沢山入れて上陸紀行としました。
感慨深い軍艦島のブログ有難うございます。最後の文面が何故か残ります。一九七四年以降無人島。石炭採掘で開け石油で閉められこの島で生活していた方は・・・・・・各地の炭鉱が閉山されたのとは「夕張」「三井、三池」とは・・・・・
返信削除知らないから勉強しなければ・・・・・
いい写真をみせていただきました。